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「あ、雨が降り始めた」

スマートフォンのディスプレイをあの人の呟きが滑り降りる。
夜の帰り道。
多少混み合った列車の中。
タブンすぐ近くで生活しているあの人に思いを馳せる。

顔をあげる。
雨が降り始めている。
走る列車の窓に水滴が線のように描かれていく。
きっとあの人も同じような風景を目にしているのかもしれない。
そう思うととても不思議な気分になる。

「ほんとだ。降り始めた」

あたしもそう文字を打ち込み送信ボタンを押す。
ほんのちょっとした主張。
近くにいるのかもしれないんだよ。
そんなイタズラじみた主張。

列車が速度を増していく。
疲れた顔の人々を乗せて。
そして、あたしはそんな人達なんかに目もくれず
ただひたすらにスマートフォンの画面を見つめている。
流れていく色んな呟きを眺めている。

「参ったなぁ。傘持ってないんだけどさぁw」

そんなあの人の呟きが流れてくる。
あたしは自分の手元を見る。
手首にかかる水玉模様の傘。
この傘だったら貸してあげてもいいんだけどな。
あたしの家は駅を降りてすぐのところにある。

ネットの中でしか知らない人。
まだ顔も知らない人。
でもあたしはあなたのことを知っている。
文字を通して知っている。
たぶん。
不思議な感覚。

列車がスピードを落とす。
もうすぐ次の駅に着く。
窓に流れる雨は線から形を変えて滲んだ街灯を照らしている。
そして列車はプラットホームに滑り込む。
鋭い音をたててドアが開く。
ぞろぞろと降りていく人達。

「あ、止む前に着いちゃったか。仕方ない濡れていくか」

もう一度、スマートフォンの画面を覗き込む。
その呟きはやっぱりそこにあった。
慌てて周りを見回す。
まさか同じ列車に乗っていたなんて。
プラットホームの人混みを探す。
でも無理だ。
あたしはあの人の顔さえも知らない。

ドアが閉まる。
列車が走り出す。
あたしはスマートフォンを握りしめてモニターを見つめている。
顔も知らないあの人が雨に濡れているのを思いながら。
走る列車の中であたしの口から密かにため息が漏れた。