アヌビスくんとクヌムくんはエジプトの神様です。
クヌムくんは、エジプトの母なるナイル川の神様。
アヌビスくんは、死者が住む冥界の神様。
生と死を司る二人はとても仲良しなのですが、最近はエジプトの神様として出番も少なく、暇なので日本に遊びに来ているようです。
アヌビス「いやぁ、日本の春は美しいね」
クヌム「そうだねぇ」
アヌビス「特にこの桜の花。どうだい?この一面の花吹雪」
クヌム「そうだねぇ」
アヌビス「君はさっきから『そうだねぇ』しか言ってないぞ」
クヌム「そうかい?」
アヌビス「『そうだねぇ』も『そうかい?』もたいして変わらないよ」
クヌム「まぁ、いいじゃないか。花も綺麗なことだし」
アヌビス「クヌムくんはエジプトに居ても、日本に来ても変わらないね」
クヌム「そりゃそうさ。場所で人が変わるってんなら、今頃僕等は日本の神様だよ」
アヌビス「あっはっは。そりゃそうだ」
まだ肌寒い風が、道と川の間に咲き誇る桜の花びらを散らしていきます。
風に舞った花びらは渦を巻き、水面にたどり着き、川を白く染めていきます。
アヌビス「君が散歩に誘ってくれてよかったよ」
アヌビスは桜の花が流れていく川を眺めています。
クヌム「うん。やっぱり来てよかったよ」
クヌムは桜の花が舞う春の空を眺めています。
そんな二人を、ちょっと離れた桜の木の影に隠れたメジェドが眺めています。
クヌムはメジェドの視線を感じて後ろを見ました。
けれども、メジェドの姿はもうどこにもありません。
アヌビス「どうしたんだい?」
クヌム「いや、ちょっと視線を感じてね」
アヌビス「視線?」
クヌム「うん……」
二人が背後に気を取られているうちに、メジェドは桜の木の向こう側を匍匐前進で進んでいました。
アヌビス「日本人は桜が大好きだよね」
クヌム「うん」
アヌビス「鮮やかに咲き誇って、わずかな間だけ咲いて、そしてすぐに散ってしまう」
クヌム「日本人はそういう『潔さ』に惹かれて、桜を愛でると言われているね」
アヌビス「けれども、ボクはそれはちょっと違うと思うんだよ」
クヌム「桜の美しさは潔さではない?」
アヌビス「そう。『潔さ』ではなく『儚さ』なんじゃないかなって」
クヌム「儚さを美しいと感じるの?」
アヌビス「儚さっていうのは、人の一生を投影したものなんじゃないかな」
クヌム「人生は儚い、か…」
アヌビス「儚くて、それでもなお、短い間にこんなにも咲き誇る」
クヌム「自分の人生も、喩え短くとも、桜のように美しくありたいと願う心か」
アヌビス「そう。願望も込みで投影してるんだろうね」
クヌム「『短く咲き、潔く散るからこそ美しい』ではなく『たとえ短くとも、咲き誇るからこそ美しい』ってことだね」
アヌビス「僕等も日本人の心をだいぶ分かってきたじゃないか」
クヌム「エジプトでも桜は咲くしね」
アヌビス「いや、あれはアーモンドだろ」
クヌム「そうだったっけ」
アヌビスはエジプトの春に咲く、アーモンドを思い出していました。
クヌムはエジプトで食べる、アーモンド入りデーツを思い出していました。
クヌムのお腹がぐぅーと音をたてました。
クヌム「お腹すいたな」
アヌビス「桜餅と桜団子、どっちを食べようか」
クヌム「食べられるんならどっちでも」
アヌビス「じゃぁ、散歩はこの辺にして帰ろうか」
クヌム「うん」
メジェドは桜餅と桜団子と聞いて、はやく戻らなければと思い、慌てて桜の木から降りようとして脚を滑らせました。
ドボン。
大きな水音に驚いたアヌビスとクヌムは、川面を覗き込みました。
メジェドが桜の花びらと一緒に川を流されていくところでした。
アヌビス「メジェドは一体何をやっていたんだろう」
クヌム「さぁ…」
二人はゆっくりと川下へと流されていくメジェドを見送るのでした。