今夜もアリスは、ベッドの上でバクさんにお話をせがんでいます。
バクさんというのは、アリスの体ほどもある大きなぬいぐるみの名前です。
本当はオオアリクイのぬいぐるみなのですが。
けれども、アリスもバクさんもあまり気にしていません。
アリスはバクさんを夢を食べる動物だと思っています。
バクさんも自分は似たような動物だからいいか、と思っています。
とにかく、アリスは眠れないと、バクさんにお話をせがむのです。
今夜もバクさんは、アリスにお話を聞かせようとしています。
バクさん「今日も眠れないのかい?」
アリス「うん……」
バクさん「何かあったのかな?」
アリス「今日はね、お散歩をしていたらね、壁があったの」
バクさん「壁?」
アリス「それでね、その壁の向こうに行きたかったんだけど、行けなかったの」
バクさん「行けなかったのか」
アリス「怖い人が出てきてね。この壁の向こうには入っちゃダメだって」
バクさん「なるほど」
アリス「あっち側には何があるのかな?」
バクさん「さぁ……何があるんだろうね。それなら、こんなお話をしてあげよう」
アリス「お話?」
バクさん「壁の向こう側に何があるか分かるかもしれない」
アリス「ほんと?」
バクさん「ほんとさ」
森の中に父親を亡くした少女が住んでいました。
少女は父親から習った狩りで森の中で生活をするようになり、やがて森の中で知らないところはないというほどに育ちました。
少女は森の狩場を地図に印をつけていましたが、どうしても分からない場所がありました。
地図を完成させるために、たどり着けない場所を必死になって探しました。
必死になって探して、ようやく探し当てたところは大きな洞穴が口を開けていました。
しかし、その洞穴の前には大きな竜が眠っていたのです。
少女「竜よ。アナタはなぜそんなところにいるのですか?」
少女は竜に話しかけました。
竜「そんなの、わたしの勝手だろう」
竜は少女にそう言うと、再び眠りにつきました。
少女は次の日も、その次の日も狩りを終えると竜のところに行き、話しかけました。
少女「竜よ。なぜいつもここで眠っているのですか?」
竜「ここが寝床だから、ここで寝ているだけだ」
しかし、少女は知っていました。
竜の多くは遥か遠くの山の向こうに住んでいて、こんな森の中に居るはずがないことを。
少女「この洞窟の奥に宝の山でもあるのですか?」
竜「この洞窟の奥には何もないさ」
竜の答えはいつもそっけなく、少女はいつも軽くあしらわれるのでした。
しかし、少女が狩りの獲物をいくつか置くと、竜は美味しそうにそれを食べるのでした。
少女「少しは恩に着て、この洞窟の奥に何があるのか教えてくれてもいいでしょ?」
竜「この洞窟の奥にはなにもない。それが答えだ」
少女は竜の眠っている間に、横を通って洞窟の中に入ろうとしたこともありました。
しかし、竜は寝ている筈なのにしっぽを器用に動かして、少女の行く手を阻むのでした。
ある日、少女と竜がお昼を食べている時、竜が突然驚いたように身を起こしました。
少女「どうしたの?」
竜「お前はもう帰れ。今日は家に帰ってしっかり戸締まりをして静かに過ごせ」
竜は厳しい声で少女にそう言うと、太いしっぽで少女を向こうに追いやりました。
少女は仕方なく、その日は家に帰りました。
次の日、少女が洞窟に行くと竜の姿が見えませんでした。
少女は洞窟の中を覗き込みました。
竜「だれだ」
洞窟の中から声がしました。
少女「アタシよ」
すると竜が洞窟の中から姿を現しました。
竜「お前か」
竜は心なしか元気がないように見えました。
少女「どうしたの?」
竜が洞窟の中から出てきていつものように洞窟の入り口に横たわり、目を閉じました。
竜「どうもしない」
竜は相変わらず何も語ろうとはしません。
少女「中で何があったの?」
少女は我慢ができず、洞窟内に足を踏み入れました。
その時、竜が大声で叫びました。
竜「やめろ!」
少女は聞いたことのない竜の叫びに足を止めました。
竜「この中には、この世にあってはいけないものが潜んでいる」
少女「この世にあってはいけないもの?」
少女は竜が隠しているものが宝物などではないことを知りました。
竜「そうだ。わたしはそれらが人に触れないよう、ここを守ってきた」
少女「わたし達が触れてはいけないもの?それはなに?」
竜「こわいものだ」
少女「こわいもの?あなたのような?」
竜「ある意味そうかもしれぬ」
竜はため息をつき、空を見上げました。
竜「わたしの心の中の怒りであり、恨みであり、苦しみであり、恐れであり、それらにつながるものだ」
少女「でも、それって、わたしの心にもあるわ」
竜「確かにそれらは、お前達の心の中にもあるだろう。しかし、それらがお前を支配した事はない」
少女「支配……?」
竜「人は、この洞穴のような暗い闇に心を飲まれ、支配される時があるのだ」
少女「わたしにだって、怒りに身を震わせてどうしようもなくなるような時はあるわ」
竜「それでも、怒りに身を委ねたことはないのだろう?だからこそ、お前はお前のままなのだ」
少女「わたしがわたしのままでいられる……どういうこと?」
竜「人は暗い闇に飲まれると、人でなくなるのだ」
少女「人でなくなると、どうなるの……?」
竜「わたしのようなバケモノになるのだよ」
少女は、竜の悲しげな目の中にいなくなった父の面影を見た気がしました。
竜「この洞穴の向こう側にあるものは闇だ。お前の心の中にもある闇だ。そしてわたしの中の闇だ」
少女「だからここに居たのね?」
竜「そうだ。だから、わたしがここで番をしている。この中の闇が溢れ出ないように。お前のような者が足を踏み入れないように」
少女「そう……そうなんだ。ありがとう」
竜「もう行くがいい。そしてここには近づくな。わたしもいつまでこうやっていられるか分からぬ」
少女「わかった。でも、いつか、この穴を塞ぐ方法を見つけたら」
竜「そうだな。その時はわたしも安心して眠れるに違いない」
竜はそう言うと洞穴の前で丸くなり、目を閉じて動かなくなりました。
少女は思います。
いつかこの穴を閉じることができるのだろうか、と。
少女は思います。
その方法を探すための旅に出よう、と。
いつの日か、優しい竜と仲良く一緒に暮らすために。
おや?アリス?
おい、アリス。
なんだ、眠ってしまったのか。
まぁ、しょうがないか。
今日のお話もちょっぴり難しかったかな。
さて、私も寝ることにするかな。