今夜もアリスは、ベッドの上でバクさんにお話をせがんでいます。
バクさんというのは、アリスの体ほどもある大きなぬいぐるみの名前です。
本当はオオアリクイのぬいぐるみなのですが。
けれども、アリスもバクさんもあまり気にしていません。
アリスはバクさんを夢を食べる動物だと思っています。
バクさんも自分は似たような動物だからいいか、と思っています。
とにかく、アリスは眠れないと、バクさんにお話をせがむのです。
今夜もバクさんは、アリスにお話を聞かせようとしています。
バクさん「今日も眠れない?」
アリス「うん。お話きかせて」
バクさん「そうだなぁ。どんなお話がいいかなぁ」
アリス「戦争はどうして終わらないの?」
バクさん「むむむっ。難しい質問が来たなぁ」
アリス「今日、テレビで言ってたの」
バクさん「それじゃぁ今晩は戦争から逃げ出した人のお話をしてみようか」
アリス「うん」
狩人は逃げていました。
森の中を逃げていました。
狩人は考えていました。
この森に潜めば追手を振り切る事ができる。
この森は狩人にとっては庭のようなものでした。
子供の頃から獲物を狩るためにこの森に入っていました。
狩人を追っているのは隣国の兵士でした。
ある日突然戦争が始まりました。
隣国が猟師の住む国に攻めてきたのです。
あまりにも突然の出来事に猟師が住む国は対応できませんでした。
街は壊され、村は燃やされました。
猟師は逃げました。
家族も兄弟も助ける事はできませんでした。
猟師は森の中を走りながら泣いていました。
大切な人も守れなかった。
森の中を走りながら怒っていました。
あいつらに全てを奪われた。
悔しさと怒りを噛み締めながら森の中を走っていました。
森の中心には泉がありました。
猟師はそこで休憩をして水を飲むことにしました。
水を飲もうと泉を覗き込んだ猟師は、自分の顔が煤で汚れているのに気付きました。
泉の水で顔を洗っているとどこからともなく声がしました。
「お前はこの森は初めてではないな」
声の方向を見ると、大きな白い狼が泉の向こう側に立っていました。
「おおかみ?」
「そうだ。お前が見ている白い狼がわたしだ」
猟師は狼が言葉を喋っているのを見て驚きましたが、すぐに森のヌシであることが分かりました。
「お前は何度か見たことがある」
「はい。この森で狩りをして暮らしていました」
「今日はいつもと様子が違うな」
「実は……」
猟師は隣国が攻めてきたこと、猟師が住んでいた村は焼き払われたこと、親や兄弟を救えなかったことを話しました。
隣国の兵士たちがどれだけ酷いことを平然と行ったのかを説明しました。
「なるほど。それは大変だったな」
「ですので、この森でしばらく身を潜めたいのですが」
「いいだろう。だが、森の動物を無駄に殺めてはならんぞ」
「わかりました」
そうして猟師はこの森でしばらく暮らすことになりました。
しかし、安らぎは得られず、猟師は毎晩のように助けられなかった親や兄弟が助けを求める夢にうなされました。
猟師の森での生活は長く続きませんでした。
隣国の兵士が猟師を追いかけて来たのです。
猟師は悩みました。
森を抜けて別の場所へと逃げ込むか。
それともどこに何があるかよくわかっているこの森で兵士たちを迎え討つか。
そして猟師の耳には、焼き払われた村の親兄弟、そして親しかった人達の悲痛な叫び声が聞こえていました。
その声は森の中を走っていても、森の中で暮らしていても、猟師の耳から離れなかったのです。
猟師は歯を食いしばりました。
「仇を討つ……」
猟師には森の中で得た知識がありました。
その中には毒の知識も含まれていました。
森の中で水を飲める場所はあの泉しかありませんでした。
猟師は毒が採れる植物から毒を作り、泉に流しました。
森の中に様々な罠を仕掛け、追ってきた兵士の方向感覚を狂わせました。
猟師は何日も掛けて兵士たちを誘い込み、森の中で迷わせました。
そして、ついに兵士たちが泉の水を飲んだのです。
「あっはっはっはっはっは!ついにやったぞ!」
猟師は高笑いをしながら動けなくなった兵士たちに襲いかかりました。
「これは親父のぶんだ!これはおふくろの分!そしてこれは弟の分!!!」
「貴様、何をした!!」
空気を震わすような大きな声が森に響き渡りました。
「自分が何をしたのか分かっているのか!!」
猟師は白い狼の声で我に返りました。
あたりを見渡すと、兵士たちの血で赤く染まっていました。
しかし、死んでいるのは兵士たちだけではありませんでした。
森の動物たちも泉の水を飲んで倒れていました。
「あれほど貴様が嫌悪していた兵士たちもそんな顔をしていたのであろうな」
白い狼は大きなため息とともにそんな言葉を吐き出しました。
猟師は泉に映った自分の顔を見て呆然としました。
「ここから出て行くがいい」
白い狼が怒りを噛み殺しながら言いました。
「貴様の命などいらぬ。それでは貴様等と同じになってしまうのでな」
「オレは……オレは……なんてことを……」
「その苦しみを、後悔を一生背負って生き続けるがいい」
そう言って狼は森の中へと姿を消しました。
「うわああああああああ」
猟師の後悔の叫び声は森の中に虚しく響くだけでした。
おや?アリス?
おい、アリス。
なんだ、眠ってしまったのか。
やれやれ。どこまで聞いていたんだが。
まぁ、しょうがないか。
さて、私も寝ることにするかな。